ちえこ風呂具

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育児と介護

こんな記事を目にしました。
www.kawauchisyun.com
私は今現在、2か月の我が子の育児を経験しており、また実父や親族の介護を経験してきました。その中で、介護と似てるなあと思う事はあります。そうかと思うとペットを育てるのにも似てるなあ、なんて思う事もあります。私は愛犬の介護もしてきましたが、犬が老いると昼夜逆転になる時があるんですね。夜中の3時半に突然吠えるのをなだめるために夜9時に寝て対応したこともありました。そういうのはちょっと赤ちゃんを授乳するのに似ているなあ、なんて思いました。そんな今、育児をする上でペットを育ててきたことや介護をしていた経験が活きていると実感することはあります。

しかし育児と介護は似て非なるものだと私は思います。

まず目線が違います。育児は圧倒的な生に向かっていきますが、介護は死に近づいていきます。成長するものと衰えていくもの、その差はやはり大きいです。
育児には辛い部分もありますが、それと同時に成長するものに対する圧倒的な喜びがあります。今日は笑った、おしゃべりした、首が座った、ハイハイした、などできることが増えていくのが育児です。
でも介護の大概はどんどんできなくなることが増えていきます。それまで一人で歩いていた親が半年後には歩行介助が必要になり、また半年後には外出に車いすが必要になり、その半年後にはほぼ車いす生活になり、動きがどんどんなくなっていきます。もちろん回復に向かっていけば介護は喜びがありますが、それはごく一部です。介護の終焉は死であり、そこに喜びはほとんどないんです。もちろんホッとすします。寝不足や身体の疲れとようやく離れるのですから。でもね、介護の一番良い終わり方は安堵が限界なんです。

また、育児をしていて辛くなって我が子に対して「死んでくれないかなあ」なんて思う親はほとんどないと思うんですね。そう思ったらもう病気ですよね。
でも介護で辛くなったらそれは当たり前にやってきます。
赤ちゃんに暴力を振るわれる事はないです。おむつを替える時にキックしても「あんよつよいねえ」てなものです。
でも介護していたら被介護者に殴られたりすることもあるんです。私も認知症の父に手を振り上げられたことがありました。叩くふりみたいなものだったので実際の暴力とは違いますが、自分より体格の良い父親に手を振り上げられる時の恐怖は今でも忘れられません。うちの父は被介護者としては穏やかで結構扱いやすい人だったと思いますが、それでもそういう事があります。
たまたま当時同じ病室で一緒になった奥さんは、退院後脳梗塞の旦那さんに相当あたられたそうです。元気だった頃とあまりの自分の違いに被介護者が苛立ちを募らせ、介護している家族にあたる事が、介護の現場では結構あります。

それから育児に終わりが見えない、と言わているけれども、介護の終わりが見えないのとは全く違います。
私の伯父は今被介護者ですが、車いすを使用するようになって3年になります。意識は結構はっきりしてますが、今ほぼ車いすで週3日のデイサービスと月2回の病院以外、日中ほとんど家にいるだけの生活です。
3年だったら子どもなら歩いて幼稚園に通う頃です。でも今の伯父はただ衰え行く身体をリハビリで維持しているだけの生活です。夜中のトイレで扱けて母を呼ぶことも結構あります。この状態がこれから何年続くか、2年か3年か?まさしく終わりが見えません。

もちろん育児には育児の大変さがあります。この子がどう育つか、ちゃんとした人間として自立ができるのか?事故や怪我、病気はないか?そういう不安をいつもかかえなくてはなりません。その年齢年齢での悩みは尽きないでしょう。そういう意味では確かに子育ては終わりが見えません。
なのでどちらが大変という事はないですが、やはり介護と育児は似て非なるものだと思います。
ただ、これだけは介護と育児に共通しているな、と思う事があります。

それは、一人で一人を支えるより、一人をたくさんの人で少しづつ支える方が良い

という事です。
育児も介護も、一人でやればどんなに孤独で辛いか。父の介護をしていた時、父を支えていたのは母と私と妹と祖母の4人でした。このおかげで認知症の父といるのがずいぶん楽でした。今も助けてもらえるならば最大限に助けてもらうというスタンスで育児をしています。
あともう一つ

人はこちらの思う通りにはいかない

という事です。思い通りに動かそうとすると苦しくなる。もちろんすべて被介護者の通り、子どもの通りとはいきませんが、少しでも相手の思いを汲むことで、良いコミュニケーションが取れていって介護も育児も楽になる気がします。

ということで介護と育児の持論でした。父の介護について知りたい方は、カテゴリ「父と介護」でこのブログでも書いているので、一度読んでみてください。

当たり前ではないということー出生前診断の話ー

妊娠するまで、出産というのは普通にしていれば元気に生まれるものだとどこかで思っていました。
世の中にいろんな生まれ方をする子どもがいるけれども、生まれる前に亡くなってしまう子もいるけれども、それはたまたま運が悪かったりしただけの事、そんな風に思っていました。


そう、自分がおなかの中に我が子を宿すまでは。


妊娠するまでどのように胎児が育つかなかんて知らなかったし調べることもなかった。なので自分が当事者になって初めて自分がその運の悪い側に回る可能性がある事を実感しました。
何パーセントの確立うちの1%に自分とおなかの子が当たるかもしれない、そんな不安を、片方で元気に生まれてくる期待と共に抱えながら10か月を過ごしていたように思います。
初期までは流産しないかどうか、中期からはそれに合わせて異常が見つからないかどうか、後期になれば無事出産できるかどうか、そんな不安を検診の度にひとつひとつ消したり増やしたりして過ごしていました。

その中でも出生前診断は我が子の命について真剣に考えさせられた案件でした。
出生前診断の話が産科医から言われてそこで初めて本気で、自分が障がいを持つ子を産む可能性があるという事、同時にそれが事前にわかるという事、そしておなかの命に自分の選択肢を持たされる事の恐ろしさを実感しました。

それまでおなかの命は私の中に宿っているけれども、それは私の意思でどうにもならない存在でした。それは私がどれだけ無事育って欲しいと望んでも育ってくれない場合もある、そのことは不安になると同時に私に「この子の命はこの子が決める」という一つの安心を与えてくれていました。
でも出生前診断をするということは、そこに「この子をどうする?育てる?育てない?」という選択肢を親側に与えられることなんですね。その選択肢を与えるために、法律上中絶をしていい20週あたりまでに受けるよう説明されます。

結論として先に言うならば、私は羊水検査を受けませんでした。
染色体異常が見られた時にどうしたら前向きに我が子に向き合えるか結論が出なかったからです。かといって中絶をした時に自分が前向きに生きていける自信もありませんでした。
出生前診断を扱う書籍やネットの体験談なども読みました。もちろん夫と話し合いもしました。
と言っても夫と私の意見は同じで、診断結果が陽性だった時の結論が出せない、という事でした。
そして後戻りできないところに決断を後回しにして自分たちを追い込んでしまおう、という決断をしたのでした。
出生前診断で判断できる障がいの種類はそんなに多くありません。この出生前診断で陰性になっても、様々な障がいをもって生まれる可能性はあります。出生時に事故があるかもしれませんし、無事に身体に何の問題もなく生まれても自閉症などの発達障がいを持つことも考えられます。
出生前診断で得られる安心は限られていてそれで中絶を選ばない(少なくとも私は選べる気がしなかった)のであれば、そして結果に暗い気持ちで出産までを過ごすならば、私はもう知らないままでいい、と思いました。

出生前診断には理屈じゃない様々な考えがあります。私は、結果によって中絶を選ぶ人も、産むことを選ぶ人も、とても勇気のある事だと思っています。産み育てる人ならばもちろんですが、中絶を選んだ人もお腹の子が愛しいと少しでも思っていたならば、その決断はもう苦しみに苦しみぬいた末だと思うからです。

ありがたい事に生まれた娘は健康体で生まれてくれました。自分の子を産んで初めて、元気で生まれてくれることが当たり前ではない事に気づかされました。
今私は毎日「生まれてくれてありがとう。今日も元気に成長してくれてありがとう」という気持ちでいます。泣いて笑って眠って必死に母乳とミルクを吸って日々成長していくことが何と幸せな事か。
この気持ちがいつまで続くかわかりませんが、いつか我が子が生きていることが当たり前のように思うようになっても、この今の気持ちがあったことを忘れないようここに記しておきたいと思います。

胎教から洗脳へ

生後1ヶ月を過ぎて外出が増えました。昨日は伯父へ顔見せついでにumieに買い物に出掛けたら、どこもかしこも家族連れで若干引きました。ベビーカー率が今までにないぐらい多かった!まあ私も同じですが同じところに分類される事に今更ながら驚いています。
うちの娘は概ね外ではおとなしいです。助かってます。伯父の家に着いた途端泣いてたけど、まあ家と同じ扱いになってるならそれもよし、みたいな。
ところで夫が運転するときの車のBGMが生まれる前まで世界名作劇場だったんですが、産まれて娘だとわかったらプリキュアになりました。

こりゃもうまさに洗脳やな!

とつい思ったのはないしょでもなんでもない話。
ちなみに私が歌う子守唄はあらいぐまラスカルの替え歌です。ラスカルを娘の名前に、ともだちを我が子にテキトーに替えて歌ってます。いまのところ娘には好評です。

はてなダイアリー終了とはてブロ移行中

ついに来年春でサービス終了なんだとか。
まだブログという名前が殆どなくて、こういったオンラインで文章を作成できるサービスが日記形式だった頃、ブログサービスの走りとして始まったはてなダイアリー…長かったなあ。
デザインをちまちまカスタマイズしたりしていた頃が懐かしい。あの頃私も若かった。
はてブロが出来て、ダイアリーがスマホ仕様になかなかならないなー、もう古いコンテンツになっちゃったなーと結構ずっと思ってた。
献立ブログをはてブロで作ってたから移行するのにためらいはないけど、記事のタイトルを一覧形式で見れないのだけはなんとかなんないかなー。
というわけでこのブログ、現在はてブロにインポート中。
混んでるからなかなか進んでないっぽいけど、この途中で更新した分ってどうなんのかな??


残念ながらタイミング悪くできなかったのでちまちまコピペしてみました…。

まさかの同い年

国分さんになんと第二子がお生まれになられたとか!それも女の子!
おめでとうございます。立ち会えてよかったね。
まさか同学年の国分さんと同い年の娘を私が持つ羽目になるとはね……!

出産しました

7月27日に娘を出産しました。予定日を過ぎても促進剤を入れても胎児が降りてこないので帝王切開手術となりましたが、無事産まれました。今生後3週間目に入りますが、娘は元気です。私は(主に寝不足で)まだちょっとよろよろです。
産んで実感したのは自分の身体の不思議と育児って大変やなあ、という事です。
娘はかわいいです。たまに地蔵のような顔をして寝ていてもかわいいです。
授乳が終わってから夜遅くにぐずぐず言っててもかわいいです…こっちも眠いから寝ててほしいけど。
子育てをすると親のありがたみがわかるといいますが、生後3週間目にして実感してます。こんな目もほとんど見えない、泣くしかできない、母乳も上手く飲めない、体もまともに動かせない、体温調節もうまくできない、満腹中枢もまだ未発達で、せやのに3時間おきには確実に腹を空かせるこのほっといたらどうにかなっちゃうのに生き物をよく面倒見てくれたな…と。
今は娘を中心に私の生活が回っています。こんな日がくるとは思わなかったなあ、としみじみ思ってます。
一昨日、夫とERシーズン13を見ていたらちょうどアビーさん緊急帝王切開で出産の回で、まともにお腹を切るシーンや胎盤を引きずり出すシーンなどが出てたんですが、私の出産に立ち会った夫が
あー実際もこんな感じやった
と言ってて、ひー!ぎゃー!!となりました。私の方からは見えへんからね…。胎盤を見たいというお母さんがいらっしゃるらしいですが、私は全く無理でした。へその緒を切るのも自分では無理やわーと思ってました。
あの出産の時、猛烈涙が出てきて娘が出てきた瞬間号泣して「ありがとーありがとーーー!!」って気分になって、まだ私お腹開いてる状態やのに間違いなくメンタルがおかしくなってました。出産後は胎盤出したり縫ったりするんですけど、その作業中半分呼吸困難で本当に困った。
その後もホルモンって怖いよね!と思う事が出産後いろいろあって、自分の肉体的には妊娠前の身体にもどさんなあかん筈やのに、自分の身体が子どもを育てるためだけに無理くり変化してたりして、なんちゅーか私がそうしたいって思ってるわけでもないのに勝手にそうなってるのが本気で不思議です。
出産についてはまた書ける事があればいいなーと思ってます。でも産後は目の疲れがひどいです。これなんでなんやろ…??

にしても

もうそろそろ出産予定日なのですが、なかなか生まれる気配がありません。
冷蔵庫の中身も徐々に少なくして入院中の不在に備えているんですが、結論として毎日買い物をしては料理している状態です…。
今日もこうやって文章書いてる間もびっくりするほど動いていてどうしたものかと思っているところです。