ちえこ風呂具

日々の事とかTOKIOとか織田信成君とかフィギュアスケートとか

あなたの「死ぬのが怖い理由」の主なものが、下記3つ以外であれば教えてください。

あなたの「死ぬのが怖い理由」の主なものが、下記3つ以外であれば教えてください。

1.痛みや苦しみ
2.親しい人たちとの別れ
3.“自分”がなくなること

宗教の信者の人・来世や輪廻転生があると考えている人・死ぬのが怖くない人は回答をご遠慮ください。
http://q.hatena.ne.jp/1137941096

この質問に気付くのが遅すぎたなあ。ネットってネタの時期が過ぎると書きにくくなってしまうんだよなあ。と思いつつ面白い内容だったので色々考えてみたんですけれども。
ところで信仰者や来世を信じている人は答えられないってどうなんでしょう?個人的には信仰があっても死ぬのが怖い人っていると思うし、信仰をもっている人だからこそ死の恐怖を面白い観点で答えられる場合もあるような気がするんですけれども。むしろ今回の回答が面白く感じられなかった理由って対象が限られたからじゃないのかなあ。もちろん、対象を広くすればつまらない回答が増えて質問者の負担も大きくなるから一概にいえた話ではないですね。
で、私は死ぬのが怖い人なのです。
これはゆっくりと死に至る場合に限ってなのですが、なぜかというと「自分の今までの人生を突きつけられるから」です。
 私はなるべく日々を精一杯生きてきてますけれども、それでも無駄と思える日々がなかったわけではありません。むしろ人生の半分は無駄の時間とすら言えると思います。もちろん人生には休みも必要ですし、日々の生活には無駄の時間も必要です。
 がしかし、それを死に直面した時にも言えるかどうか、と言われると別の話です。なぜなら今までの私は「まだまだ時間がある」と思って生きているからです。だから大きな失敗をしても「次で挽回しよう」と前を向けます。落ち込んでも時間が解決してくれます。それだけ人生のカウントダウンはまだまだ先に感じているのが今の私です。しかし、そのカウントダウンが突然始まったらどうでしょう?例えば突然「余命3ヶ月です」と告げられたなら。
 私は無駄の時間を後悔するでしょう。そのときそのときであった小さなミスを悔やむでしょう。なぜなら挽回する時間は短いからです。そして人生の無駄だった時間をもう取り返すことはできません。挽回のチャンスはあと少ししか与えられていないのです。その時間で人生の半分をどうにかすることをするのは大変難しいと思われます。
 そう考えると今の私にとって「死は怖い」と思うのです。というよりも無駄だった生を見せ付けられるのが怖い。今は気にせずにいた、奥底にある自分を見せ付けられるようで怖い。
 これがまた年齢を重ねて「もう死んでも後悔はないわ、この人生も悪くなかったわ」という日がくるかもしれません。無駄な時間も「それはそれで楽しかったわ」と思える日がくるかもしれません。でも今の私にはそれを「楽しかった」と思える力はないのです。
あと、それとは反対に「今まで得たものを手放す恐怖」というのもあります。例えばあの道で見た美しい景色や、他人から貰った嬉しかった言葉や、そういったものに付随する喜びは、忘れたくない、失いたくないものなのだと私は思います。でも死はそういうものを奪っていくような気がするわけで、そのあたりが怖いんですね。
どちらにしても死そのもの、というよりも死による過程が怖いと思っているのかもしれません。死、そのものよりも死を迎える時の自分が怖い。
それからあともうひとつ、本能的に体が崩れていくのが怖いというのもあります。実は私の母方の祖父は腎臓がんに胃がんを併発して亡くなったのですが、最後は普通ではありえないぐらい血を吐いて死んでいきました。そして私が駆けつけた時は体が血だらけでね。表面は注射針ぐらいの傷しかないのに血だらけということは、体内がボロボロだったというなんですけれども、体の中がどんなめちゃくちゃになっているのかと思うと、それはそれは怖かったなあ。死というのは体が崩れていくという事なんだなあ、とそのときすごく実感しました。そういう状態になるのが怖いんですけれども、やっぱり死そのもの、というより死に至る過程ですね。うん。
でも、うちの妹にこの質問をしたら「そんなの死ぬ前じゃないとわからない」ときっぱりすがすがしいまでに言い切ってくれまして、まあ多分私もそういうことなんだと思います。実際に私が怖いのは「死が近づいてきて、恐怖でどうしようもなったら」なんだと思います。本当に怖くなるかどうかはまだわからない。だけど実際に怖かったら辛いから、そのシュミレーションを今しているだけにすぎないんだと思います。そういうことです。