ちえこ風呂具

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隣の芝生の話

昨日嵐のDVDの事でコメントを頂いたのですが、大変興味深かったです。今回はTOKIOファンとしての視点なので、もしかしたら嵐のファンの方からは少しとんちんかんかもしれませんが、ワガママな私はどうしても書きたくなったので今日はそのことを書いてしまいます。
私が一番興味深かったのは「売れる事で増えた不自由」のことです。まあ急激に売れ始めたから色々拘束が出て来ているのかもしれませんが、実はジャニーズ事務所のタレントさんが「売れる」ということは「自由が増える」ことだと私はずっと思っていました。
というのも私がファンをやってるTOKIOというグループは「売れない」ことで自由を拘束されてきた人達だからです。今年始めに放送されたSONGSで、長瀬はデビュー当時の自分達を「自分の好きな音楽もさせて貰えないのに、評価されるのにすごいストレスがあった」と口にしていました。そして「人気」という結果を出す為にいろんな思考錯誤と失敗を繰り返して、事務所との折合もなんとか付けたりして、それでなんとか幾分かの自由を勝ち取ってきたわけですけど、それでもライブに全然時間を使えないから初日はなんだかライブの構成や演奏が未完成だったり、地方の会場だと日帰りだから音響トラブル必須だったり、アルバムに自作曲をいれたいけど時間がないから結局入れられなかった*1とか、そういう不自由があるんですね。
で、そのスケジュールの自由や選曲の自由を勝ち取る為には「コンスタントにCDセールスを出せる状況」じゃないとダメなんじゃないのかなーと私は何となく思っていたんです。
でも今回のコメントを見て「そっか…CD売れても自由は勝ち取れないのかー…」みたいなね…いやまあ売れるレベルも種類も違うのかもしれないんですけど、でもうらやましいばかりでもないのだな、と思ったわけでした。
あと二宮くんのソロが勝手に決められたものだった、というのも不思議な気持ちで読みました。誰が勝手に決めたんでしょうか。舞台監督?メンバー?で、それ二宮くん…反対とかしなかったの?それとも事情があってできなかったの?
TOKIOのライブで「本人が知らないうちに勝手に構成を決めてしまう」というようなことが一切想像つかないので本当に不思議でした。いつもTOKIOのライブでは「そこ譲れません」みたいなのがあってその為には他の何かを犠牲することもあるわけですが、嵐にとってライブにおける「譲れない」部分ってなんなんだろうなあ、と思いました。

*1:スタジオにデモテープもってきてるのにな!あれはちょっと泣けた…。