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谷山浩子の話

歪んだ王国

歪んだ王国

谷山浩子というアーティストを知っている人はそう多く無いでしょう。でも私の年代でみんなのうたで流れていた「恋するニワトリ」という曲*1を知っているひとはそこそこいるのではないでしょうか。この曲を作っているのが谷山浩子という人です。
私の友人はこの「恋するニワトリ」をとてもシュールな曲だと言っていました。ニワトリが屋根備え付けられている風見鶏に恋をして、でももちろんその恋は実らなくて、そして最後にひとりで卵を生んでしまうという内容で、曲そのものは谷山浩子のかわいい声と明るい楽曲の所為かあまりインパクトはありません。よく考えたら想像妊娠というものなのですが、卵を生むっていっても鶏ですしね!ただ無性卵生んだだけやん!みたいな(笑)。
でもこのみんなのうたのアニメーションでは最後にその卵からヒヨコが孵っていて、そこが友人にとっては驚愕だったそうです。まあ無性卵からヒヨコが孵ったらびっくりだよねえ。
多分NHKのスタッフもそんな深く考えてこのアニメーションを作ったわけではないでしょうけど。
ところで今日朝から家に現存する彼女のCDを軒並み聞いていたらふいに「悲しみの時計少女」とこの「恋するニワトリ」がリンクしました。無機物に恋をするというのと、鳩時計の鳩と風見鶏という鳥つながりが私の中で符号したのかな、と思います。本当はご本人の書かれた同名の小説を元にした曲なので別に何の繋がりもないのですが、どちらも谷山浩子らしい世界観が納まっています。でも「悲しみの時計少女」は「恋するニワトリ」のようにシュールな恋をほのぼのの枠に収まらせず、彼女の世界観が全開で表現されていて、聴いているとその世界に引き摺り込まれます。時計に恋する少女の静かな狂気がそこにあります。
最近、うちの新しい家族から最近の暗い曲とか、最近のちょっとおかしな曲とかを聴く機会*2がたまにあるんですけど、そういう曲を聴くと谷山浩子の狂気はなんだかどっしりしていてブレがないように見えます。その…新たに歌っている彼等の狂気というのは自らのうちの部分を深く創作せず、そのままさらけ出しているように思えます。だから自身の中の狂気が大きいときはすごく魅力を増すんですが、狂気は薄くなるとそのカリスマ性を失ってしまう。それはそれで非常に正直で、だからこそ大衆に喜ばれるんでしょうけど、でも谷山浩子という人の狂気は自身の闇を、一旦自分の中で受け入れて昇華し、そしてそれを客観的に表現しているように思えるんです。だからこそ彼女の狂気というは30年以上経っても一向にブレないし、今でも暗く怪しく美しく輝き続けるのかな…と思います。
あの、でも実は私…アルバム7枚しか持ってなかったりするんですけどね(苦笑)。

*1:「まっくら森のうた」の方が有名かも

*2:本当に新しいアーティストです。名前はさっぱり知りません。