ちえこ風呂具

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さいとうちほ「とりかえ・ばや」

最初はいいかなーと思っていたのですが興味が出てきて2巻まで読んでみました。現在7巻まで出ています。
とりかえばや物語と言えば、過去に氷室冴子が「ざ・ちぇんじ」のタイトルで現代小説化し、その後山内直美が氷室冴子版をそのまま漫画化したのが記憶にあります。当時の作風はコメディだったのですが、このさいとうちほ版はどちらかというと耽美でエキセントリックな内容として*1書かれています。
権大納言の奥方である東の上と西の上に同じ日に生まれた子供は男女の違いはありながらも見た目そっくりに生まれ、美しく育ちます。
しかし育つにつれそっくりの片割れである沙羅姫は男童と蹴鞠や木登りを楽しむ若君のように、一方若君である睡蓮は男嫌いの引っ込み思案で人形遊びを好む姫君のように育ちます。周囲は美しく活発な沙羅姫を見て若君と思い込み、本人達もそう思われることを疑問にも思わず、その本人の思いや世間の評判に押し出されるように、遂に沙羅姫は男性として、睡蓮は女性として生きることになるのです。
しかしもちろん、そのような生活は思うようにはいかず、世間の中で二人の主人公は様々な苦しみを味わうことになります。

というのが大まかなストーリーです。ここからは突っ込んだ内容になります。
コミックの裏面にはトランスセクシャルストーリーとして銘打っていますが、実際の内容は同名の性転換症とはあまり関係ないと思います。
大人になって読んでみるとわかるのですが、この主人公達が大人として性を選ぶのは14歳なんですね。今でいう14歳といえば丁度思春期で、異性を意識しだす頃だと思います。14歳で帝からの命令により元服し、宮仕えをする事を決めた沙羅姫は自分が世間の姫君とは違う事はわかっていましたが、性というものを深く意識していませんでした。男性として生きるということを意味を知らないまま男性を選んでしまうんですね。そして睡蓮も、自らの性格から男性として元服し、宮仕えをする事を選べません。そして
(自分達の性を)とりかえられたらいいのになあ…
と願うのです。確かにある意味トランスセクシャルと言えないこともありますが、内的要因よりも外的要因によるものが大きいんですね。
本当だったら帝の命が下ったときに父親である権大納言が「いえ、ああ見えて実は…」といえればよかったんですけれどもね(苦笑)。穏やかで優柔不断に見えるこの権大納言ですが、帝の側仕えをするほどの上流貴族である彼の中には宮中での自分の地位向上への野心もあったのではないかと思います。
彼は二人の子供を愛してましたが、息子が宮中での出世どころか元服もままならず、また娘が地位ある身分のところに嫁入りできるかどうかわからない男勝りに育ったとは世間には言えなかったのでしょう。
その姿は「例え父親でも…弱みはみせられぬわ…」という言葉に現れています。この部分に関してはそこまで深く掘り下げられておりません*2が、そういう親の元に生まれたことも主人公が自分たちの性のあり方に翻弄されるきっかけとなったのでしょう。
しかしこの物語が平安時代に生まれたことが面白いですよね。もしかしたらこの作者は自身の性を自覚する前に、親や周囲に「男性らしくしなさい」とか「女性らしくしなさい」と言われ続けた人なのかもしれません。

*1:何せさいとうちほですから…

*2:もしかしたら原作では書かれてさえいないかも…