ちえこ風呂具

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ネットで批判が難しい理由

ネットのコミュニケーションでおおきいのは、「だれが言ってるのか?」が見えない、ことだ。
たとえば、ネットの中で、私が、「ちょっとあんた、あんたの文章の考え方それは許せん! 文章をなめたらいかん!」と批判をやってみるとする。
相手にとってみれば、「ハンドルネーム、ズーニー? 誰じゃこれ?」
相手は、私のことを知らないから、にわかに、私を「うさんくさい」と感じる。
そこで、「わたしはだれか?」を説明するとする。
「私、ズーニーは、高校生の小論文教育から出発して、もう17年も、ずっとずっと文章教育にかかわっている者でして、こんな本も出し…、あんな活動もし…、」
とやるとする。
さらに、うさんくさい。
要するに「私は文章にかけては、プロなんだぞー!私の批判をありがたがれー!」ってことか、と、たのまれもしないのに自分の経歴をとうとうと並べると、なぜか、ますます、うさんくさい。
ほぼ日刊イトイ新聞

最近この日記にコメントがたくさん増えてうれしかったり困ったり、批判も頂いたり。そんなときにこの文章に出会いました。参考になったのでメモ。ネットのコミュニケーションって難しい…。とりあえずコメントのみでのやりとりでは、なかなか言葉に信頼性が見られない、と言う事を言いたいだけなんですけど。何かバックグラウンドが見えて来ないと「うさんくさい」はなかなか消えてくれないものなのです。例えばサイトが、日記でもなんでもいいのですが、そういうのがあって、そこから人柄が見えてきて、そこに信頼性があればオッケーなのですけれども見えない場合はまさしく「うさんくせー」なわけなのですね。さて、どうすれば見えるようになるのかな?
引き摺っているなあ、私。