ちえこ風呂具

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近況

なんとなくどこかに書き留めておかないと自分の身の置き所がいまいちわからないので書いてしまいます。
去年の8月に、近所に住んでいる父方のいとこにあたるおじさんが体調を崩して入院した、ということを少し日記に書きました。
おじさんの病名は腎臓癌で、当時既に肝臓とリンパに転移してステージ4でした。おじさんは82歳という高齢で癌の進行が遅く、今年に入ってからも自宅療養が続いていましたが、この4月の末に腰の痛みを訴えまして入院しました。その後血圧が一気に下がって危篤状態になったものの一旦持ち直しまし、配偶者であるおばさん、母、私と妹でかわるがわる病院に付き添いました。腎臓に腫瘍があるものの思ったより機能が低下せず、危篤時には浮腫んでいた体もまたほっそりとして、長期の療養を覚悟していたのですが、5月25日にまた悪化し、先日31日に亡くなり、本日葬儀を終えました。
こんな時によくライブに行けたなあと思います。行くか行かないかは日曜まで迷っていたのですけど、本当によく行けたな…と。というわけで怒涛の一週間となりました。
しかしなんかなー、こう、自分の年齢を感じます。ホント、小さいころにはたくさんいた親戚が徐々にいなくなるというのは、自分がそれだけ年齢を重ねたという事なんですよね。またうちの家というのが昔は本当に親族同士のつながりが強くて、子供の頃にはあちこちに「おじいちゃん」「おばあちゃん」がたくさんいました。いとこどころかはとこもたくさんいたなあ。でももう今やおじいちゃん、とおばあちゃんは片手で足りる程度になりましたし、おじいちゃんおばあちゃんのつながりが無くなると同時に徐々に親戚同士のつながりも減って参りました。
あと末期癌患者と付き合うのは伯母に続いて二人目ですが、癌は厳しいですね。特に今回は病状が上向きと下向きを繰り返したので、これからをどう考えればよいのか大変迷いました。本人はもう5日前ぐらいから話すこともままならなかったので、何を望んでいるのかがわかりませんでしたし、余命というものをどうとらえればよいのか、死にゆく姿に生きていく側がどう接すればよいのかということに迷いました。これは祖父、祖母や父の時にはなかった葛藤でした。
祖父は肝硬変からくる内臓機能の停止が死因でしたが、発覚して、入院して、そして次の日には亡くなりました。祖母は重度の脳梗塞で、それ自体では命を落としませんでしたが身体機能が低下していた為、肺炎で亡くなりました。父は脳梗塞を治療中に脳内出血がおこり、それで命を落としました。私はこれまで「自分の死」を自覚している人に長期にわたって接することがありませんでした。もしかしたら本人はどこか高い所で自分の死を自覚していたのかもしれませんが、私にはそれを感じることはありませんでしたので「まだこれから生きていくだろう」と思っていました。だからこそ今回の事はすごく考えさせられました。
ともかくひとつ、私たちのなにかが終わりました。私たち家族はこれからまた生きていくものとして、先を見据えながら今後の生活を考えていきたいと思っています。