ちえこ風呂具

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不確かな自信は、人を幸せにするのか?

友人が仕事ができないのにできると思っている部下の事を羨ましいといっていた事について。
その部下の女性は結婚しています。そして友人のイメージだと彼女は「家庭も円満で、尚且つ仕事ができる自分はすごい」と思っていて、尚且つ「仕事を一生続けたい。もっと責任ある仕事がしたい」と言っているようなのです。でも客観的に友人や上司が見る限り、決して仕事が出来ているわけではないし、今の仕事に意欲的であるとは思えないそうです。でも友人は言うのです。
「そう思えていられるのは幸せだ」
と。
現実が見えていない彼女は、地に足がついていない状況に私は見えました。そういう不確かな自信はいずれ現実を知った時に苦しむのではないか?と思ったし、友人にもそう言ったのですが、友人からすると「彼女にとって現実が一生見えなければ幸せだからいいんじゃない?」んだそうです。でも帰り際にふと
会社組織というのは社会的評価を必要とするものなんじゃないのか?なのにそんなはっきりしない自信があっても、そのうち現実とのギャップで苦しむのでは?
いう事に気付いたのでした。責任のある仕事がしたいと思ったら、はっきりした結果と上からの評価が必要です。だから彼女が今の仕事を責任もってやれないなら周囲は「責任もって自分の仕事ができない人」と認識するわけで、そうすると彼女のいう「責任ある仕事」はやってこないわけで、そうしたら彼女の中には「私の事を評価してくれない」会社に対する不満が増えてくるんじゃないでしょうか。そしてそれは決して彼女にとって幸せな状況ではないでしょう。カロリーメイトのCMにもありましたよね
小さい仕事もできない人間に、大きな仕事は任せないもんだぜ!
って。
なのでもし彼女が不確かな自信を持ちながらも本当に幸せであるのならば、それは彼女が「自分のできない事」と「自分のできる事」を明確に判断して、そのなかで幸せになる方法を知っているだけなんじゃないでしょうか。だとしたら彼女は決してふわふわしている状態ではなく、私や友人と同じようにきちんと地に足を付けている大人の女性なのかもしれません。
そんなことを考えながら、家に帰った私でした。