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訃報

日本テレビ系の番組「ザ!鉄腕!DASH(ダッシュ)!!」の看板企画「DASH村」で、農作業を指導してきた福島県浪江町三瓶明雄(さんぺい・あきお)さんが6日、同県伊達市の病院で死去した。84歳だった。

 DASH村は、人気アイドル「TOKIO」のメンバー浪江町の荒れ地に山村をつくり上げる企画で、2000年に始まった。地元で農業を営んでいた三瓶さんは開始時から指導役として登場し、米や野菜の作り方、ヤギの飼い方などをメンバーに伝授。「農業の達人」として慕われていた。

 浪江町東京電力福島第一原発事故で全域が避難指示区域となり、三瓶さんも福島市の借り上げ住宅に避難した。その後もメンバーと一緒に全国の優れた農産地を訪ねる企画などで番組に出演していたが、最近は体調を崩し、入退院を繰り返していたという。
読売新聞 DASH村「農業の達人」三瓶さん死去…84歳

6月8日のDASHでメンバーの追悼コメントが出るとの情報がスポニチで出ていました。
80歳の時に長瀬と山口くんが村で歌ったバースデーソングが今でも思い出されます。その後震災があって、避難を余儀なくされて、それでも出張DASH村で各地に出向いて地方の野菜との出会いに喜んだり、苗を持ち帰って避難先のおうちで育てられていたりして、どんな時でも前向きさと笑顔を忘れない姿にいつも希望を貰っていました。TOKIOに昔の技術と知恵を教えてくれる人でしたが、なぜか過去のイメージは全くなくて、皺たっぷりだけどいつもつやつやお肌の明雄さんの姿から私が見えているのはいつも未来の事でした。
TOKIOのライブにもよく来られていてすごく盛り上がっていた事もTOKIOファンには周知の事で、ホントにいつも若くて元気なイメージがありました。私にとって明雄さんという人はTOKIOの、DASHの関係者というよりもTVの中のおじいちゃんみたいな存在で、この日記を読み返したら何度となく「明雄っちいつまでも元気でいてね」って書いてました。最近はTVで見る機会も減ってきて、やっぱり高齢の身にはあちこち出向くのは大変なのかなあ…と思ってましたが、こんなに早く亡くなられるとは思いもしませんでした。
できる事なら浪江に帰れるまで生きていてほしかったです。でも明雄さんの知恵や想いはきっとTOKIOと、DASHと、DASH村を見て影響を受けた方たちすべてに受け継がれていると思います。今はまだ悲しいし寂しいけど、きっと笑顔で思い出話ができるようになるでしょう。TOKIODASH村に帰れる日が来る事をあきらめていないと思いますし、私もそう思っています。
だから明雄っちはそれまで私たちの見えないところで見守っていてね。