ちえこ風呂具

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本物の希望

戦後70年という節目にあたり、この8月は新聞やテレビなどで太平洋戦争について様々な企画がありました。私の家では読売新聞を取っており、たまたま見ていたら1日から戦争体験のコラムが毎日掲載されていましたのでずっと読んでいました。人選が(私が見る限り)バラエティーに富んでおり、様々な角度から当時の事を知ることが出来て面白いなあ、と思いました。個人的に興味深かったのはマレーシアのマハティール元首相の英国統治時代との違い、張本さんの原爆体験、宝田明さんの満州での終戦近藤富枝さんの戦時中ラジオアナウンサーとして玉音放送より早くに聞いたポツダム宣言受諾の情報、半藤一利さんの戦後の振り返りの座談会から「日本で一番長い日」を書くまでの経緯、最後に元国連事務次官である明石康さんを持ってきたのも面白かったと思います。あと中の人の話として奥野さんの公文書焼却の話も面白かったのですが、事情を察する事はできるとは言え思わず「なんで焼いてしもたんや!」と突っ込んでしまいました。
毎年私はこの時期になると戦争というものについて色々考えるのですが、今年はどちらかというと「辛かった」「もう戦争はしたくない」などという情緒的な部分を捨てて、理論的な部分としての戦争を追っていきました。そのひとつとして購入したのが、チャールズ・スウィーニーの「私はヒロシマナガサキに原爆を投下した」です。
この書籍は日本人としては感情を揺さぶられる内容が多いので少し読んでは休み、少し読んでは休み、という形を取っていて実はまだ読破できていません。ですから感想というものはほとんど書けないのですが、読んでいて考えさせられるのは「なぜ、日本はこの太平洋戦争を仕掛けることになったのか」ということです。スウィーニーがこの本を書くに至った経緯について「原爆を落としたことに対して、日本が自らを被害者として扱うこと、また本国の人間も日本を戦争の被害者として扱うことは間違いであり、それを正したかった」というようなことを書いています。私達日本人が「戦争被害者」として日本を扱うことによって、日本から被害を受けた他国を癒すための「本物の希望」が育たないのだと。
そして自分達はどんな被害を受けても戦争をあきらめない日本に対して非情にならざるを得なかった、そのために原爆を落とすこととなった、とも。
私は読みながら「それは違う」と言いたくなります。彼は彼の正義があったかもしれない、日本の政治はファシズムに毒されていたのかもしれない、戦争の終わるべき時期を見失った日本は愚かであったかもしれない。しかしアメリカは被害者のみであっただろうか、日本は加害者だけだっただろうか、そのことを読みながらぐるぐると考えました。また「私達は被害者としてだけこの被害を口にしているわけではない」とも思いました。私達は責任をアメリカに押し付けているわけではないのだ、自国の罪も自覚していながら、しかし甚大な被害を与えるこの兵器の使用を止めたいと願っているだけなのだ、とも。
彼は「真実だけが癒す力を持っている」と言います。真実とは何か?彼も日本の真実を知らない、と私は思いました。私は「日本にとって太平洋戦争の始まりとはいったいなんであっただろうか」と考えました。結果として「ああそれは明治維新から始まるのだなあ」という事に落ち着きました。多分これが一番私達が納得できる、一番心地いい結論なのだと思います。なぜならば私達が一番最初に被害を受けたと感じられるところがそこだからなのだと思います。
そんなことを考える中、ニュースで色々言われていた安倍首相の戦後70年談話が8月14日に発表されました。私は安倍首相が一番最初に西洋の植民地支配の話を出したのは何とも「納得」出来る部分でした。そう、そこから始まるのだと、そのうねりの中に飲まれるように日本は戦争の道をたどったのだと、その後の経済的な打撃から孤立していってしまったのだと、私が「なぜ戦争に至ったのか」と考えた結論と同じ内容がそこに書かれていました。
その後は柔軟に自国の過ちに対する悔恨の言葉や戦争被害者に対する哀悼などを盛り込みながら、最後には「より積極的に平和へと貢献していきたい」と締める内容で非常にうまく文章が練られていました。この談話には明確な謝罪などはないのですが合間に他国に対する感謝の思い*1なども綴られており、日本人の私からすると「これは冷静なままではちょっと批判できないな」と思わせる内容でした。多分この談話は私にとって心地のいい談話だったように思います。
しかし安倍さんにとってはどうだったのか…これは今後の政治が難しくなるような気がします。あまりにも理想的だからです…そして具体的ではない。今後安倍さんはこの談話を盾に厳しい対応を迫られるかもしれません。しかし安倍さんがこの談話における理想のままに戦後の平和の道を進みたいと願っているならば、あの時の原爆投下を肯定せずともチャールズ・スウィーニーの言う「本物の希望」が他国へと育っていくのではないかと思います。

*1:皆さんが私達の罪を許し、優しくしてくれたからこの国の発展があったのだ、的な