ちえこ風呂具

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年の瀬に死を考える

年を取ると年々「亡くなる人」が増えてきます。
今年は私と年の近い知人が二人、亡くなりました。驚きました。彼らとは非常に親しい間柄ではありませんでしたが、先月には元気な姿を見せていた人がある日突然いなくなるというのは非常にショックなものです。人というのは勝手なもので、親しい知り合いでなかったとしても亡くなってしまうと「もっと話をする機会があれば」「もっとやさしくできれば」という後悔が出てきてしまいます。
先日友人宅で、脳卒中で回復不能の意識不明状態は死か否か、という会話がありました。友人の主人は「死んでいることと同じことだから何をしても意味が無い」、という趣旨の発言をしていて、死というものの考え方について思案しました。
私は父を脳卒中で亡くしています。それ以外にもここ10年ぐらいで様々な人を看取る機会がありましたので、その考えは少々納得し難いものでした。
しかし脳卒中で脳の半分以上が損壊している状態というものが本人にとってどういうものなのかというのは、本人にしかわかりようの無いことです。また議論をするための会話ではなかったので、その場では反論をする事もせずに聞いていました。
私にとって意識があろうがなかろうが、脳が多少なりとも身体を動かそうとしている状態を「生」と私は考えます。意識があってもなくても、体は何かしらの原因で死を迎えます。ならば意識がない状態でも「生」は「生」だと私は考えるのです。その上で回復の見込みのない意識不明の状態を、生きているものが本人の死を受け止める時間だと思っています。
父は脳梗塞から1年3ヶ月後に脳内出血になり、脳の半分以上を損壊した状態で20日程度、病院のICUで過ごしました。搬送された時は自発呼吸をしていましたので、脳死ではありませんでした。しかし手術直後に脳死状態における延命治療の選択も、医師からは告げられていました。母が「そこまで無理をして生きなくても良い」という選択をし、人工呼吸器はつけませんでした。
ありがたいことに父の死は穏やかで、静かなものでした。静かに呼吸を終えていく瞬間を家族や親族と一緒に迎えられた事は、今考えてもとても幸運だったと思います。
また父の場合は危篤になった時期や搬送された病院の医師や看護師の方達にも恵まれていて、ICUで過ごした20日余りは今まで以上に手をかけてもらいました。毎日看護師に声をかけてもらい、体を綺麗に拭いてもらい、手足や唇が乾燥すればボディクリームやリップクリームを塗ってもらい、歯を磨いてもらい、伸びた爪を切ってもらい、マッサージをしてもらい、綺麗な音楽を流してもらい、とにかく至れり尽くせりでした。記憶に残っているこの頃の足先などは浮腫んではいたものの、多分私が知る父の足では一番綺麗な状態だったように思います。
他の親族を看取る前にいつも感じたことなのですが、死を迎える時というのは健康である時よりも身体が汚れやすい状態にあるんですね。顔とかもすぐ皮脂が浮き上がってきてしまうんです。ずっと目を閉じている状態ですから目やにがすぐたまります。でも、思い返してみても父はいつも綺麗でした。綺麗にしてもらっていたんですね。
こういった事は私が看取った祖父、祖母、他の親族ではありえないことでした。ほぼ一対一で患者と向き合うことなど、普通なら出来るはずもない事です。父は運がとても良かったのだと思います。意識不明の父本人がそのことをどう感じていたかどうかはわかりません。でもなんでしょうか…死を迎える瞬間まで家族が大事にされている、というのは実はとても贅沢な事であり、そしてうれしいものなんです。
死というものを本人主体で考えると、今の医療では判断できない問題が沢山あります。相手のためと考えても、正解がないのが現状です。決断したのが自己満足であったとしても、自分が患者である家族のために出来る精一杯をする事が、今後自分が生きて行く為にも必要だと、私は思います。
追記:父が危篤時に病院から非常に良い対応をしていただいたことについて、これはかかった病院が良かったとか、看護師さんが非常によい方であったとかだけではなく、かなり運が作用しました。
実は病院に搬送された時、病室とベッドが空いてなかったのと、たまたま年末で手術の予定が殆どなかったのでICUのベッドが空いていたからでした。ICUには緊急搬送があったときのために担当の看護師が常駐しておりますが、これもたまたま救急患者が少なかったようで、それも父に手をかけることが出来るきっかけになったのだと思います。通常はここまで対応してくれることはありません。