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草水敏・恵三朗「フラジャイル 病理医岸京一郎の所見」

人はどうして間違えるんでしょうか
錯誤や伝達に由来する間違いなんてほとんどない
原因はここじゃない

ここ

人が感情に支配された生き物だからです
不安
慣れや疲労
過去の嫌な経験
それが人の判断や行動にどれほど強い影響を及ぼすことか
そして自分が感情に振り回されていることを私達は認めたくない
気付くこともできない


 フラジャイル 病理医岸京一郎の所見 第20話「岸先生、お待たせしました!」より

母方の叔母が、数年前に腹痛で緊急搬送されたとき、胃腸の疾患と間違われて開腹されたことがあります。その後別の病院で検査を受けたら子宮に細菌感染があるとの診断でした。フラジャイルを見て、読んでいるとそのときのことをよく思い出します。
医療の世界には様々な検査から疾患を決定する医者がおり、それが病理専門医であることを私はこの作品にであって初めて知りました。
岸京一郎は非常に優れた病理医であるが、疾患の決定においては全く譲らない上に周囲に歯にものを着せぬ言動をする為、利益や効率を重視する臨床医や病院の経営側からは煙たがられています。しかし誠実な医療関係者からはその態度や性格を疎まれながらも、彼の診断に絶大な信頼を得ています。この作品はそんな岸京一郎を慕い信頼しする仲間と、対立する医療関係者らと、そして彼らに振り回されながら病気というそのものと闘う患者の話です。
岸京一郎を評して「強烈な変人だが、極めて優秀」というキャッチコピーが書かれていますが、ストーリーを見ると彼はそこまで変人とは感じられません。むしろ彼は自分の診断に対して強い責任を持ち、患者にたいして非常に誠実であると感じられます。反対に普段の診察に対する慢心や惰性、利己主義に陥り、社会性を重んじるが故に誤診をしているほかの医師や教授といった存在の方が「おかしい」と感じられます。
一見不真面目そうに見えて自信の信念に一貫した誠実な診断をする京一郎と、一見真面目で誠実そうに見えて自分の固定観念に囚われて目の前の患者に向き合えない臨床医や病院関係者、または外部企業との差異がたまに滑稽に思えます。ただ、時折暴走して医療者とは思えない行動に出るところがそこはやはり「変人」というべきところなのかな?と思います。
こうやって読んでいくとこの漫画は、先日感想を書いた「ファンタジウム」にも似た印象を感じます。引用させてもらった放射線診断医の高崎先生の言葉が、先日書いた台詞にとてもよく似ていたのでびっくりしました。
「常識」と「誠実」どちらが大切なのか、フラジャイルは医療というモチーフを通してそれを問う漫画であると思います。
ところで5巻の表紙がめちゃくちゃかっこよかったですね!岸先生がイケメンでしたけど、ドラマの影響だったりして(笑)
フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(1) (アフタヌーンコミックス)
フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(2) (アフタヌーンコミックス)
フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(3) (アフタヌーンコミックス)
フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(4) (アフタヌーンコミックス)