ちえこ風呂具

日々の事とかTOKIOとか織田信成君とかフィギュアスケートとか

ファンと絆と共同体

私は今までたくさんのバンドを好きになって、でもいなくなっていって、また復活したりするのを見てきました。自分自身、いろんなものを好きになって、でもいつしか「大好き」が「好き」になって、いつしか「好き」が「好きだった」になっていく、その自分の心の変容も見てきました。
以前も書きましたが、私はこんなに長くTOKIOのファンでいられるとは思ってもみませんでした。今でも私はTOKIOのファンです。TOKIOが20年以上も長くタレントとして愛され続けていることと、私がそ長く好きでい続けていられること、その二つの事象を私は一つの奇跡のように感じています。
TOKIOのひとつ先輩であるSMAPというグループがもうすぐなくなってしまいます。それは決して不思議なことでもないと私は思っています。どんなものもいずれ形は変わってしまう。それが大きくても小さくても、永遠というものは形に残していくことが出来ないものだと私はいつも感じています。
TOKIOもいつかなくなるでしょう。いつになるかはわかりませんが、その決断は彼らの生きる道の選択によって選ばれます。たとえ彼らの事務所であったり、世の中の流れであったりそういうものが障害になったとしても、TOKIOTOKIOという形を何よりも一番に選ぶならばこれからも長く続いていくでしょう。
しかし、彼らには自らの幸福のために、別の道を選ぶ自由もあるのだと私は信じていたいです。私は私がTOKIOという形に拘るあまり、彼らの人生における選択を無視してTOKIOという枠に縛り付けるようなそのような考えを持ちたくない。
でももし彼らが選択を迷っている時には、TOKIOでいる自信を失ってしまったときは「TOKIOという姿かたちを、歴史を愛している人間がここにいるんだよ」という表明をしたい。そんな背中を押せるファンでいつでもありたい。
そんなことをここ最近の芸能ニュースを見ながら、私は思っています。