ちえこ風呂具

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映画「3月のライオン前編」書き忘れ的な感想(4/2付にて追記あり)

  • おやつタイムで島田さんが出してくるのは胃薬かと一瞬思った。そんなわけねえ。
  • 零ちゃん風邪による川本家捕獲であかりさんにズボン脱がされてたのあれ妻子捨男の時のやつちゃうのとか思って3巻読み直してみたらやっぱりそうだった
  • というよりうちにあるのいろいろ事情あって5巻からで、さすがになんかもう読み返さないといけなくなって4巻から結局1巻ずつ買い直し始めてるけど3巻4巻見て島田さんとスミスへの愛が深まった(映画の感想じゃない)
  • 辻井さんってば九段だったのか!A級だったのか!ほら5巻からだったからただのダジャレの寒い人みたいになってたよ!(だから映画の感想じゃ…)
  • 島田さんと零の対局で「こ、これ心の声かよ?!滑川出してこれないからって!!」と思わず突っ込んだ。
  • というなんやかんやでちょこちょこエピソード的に省いて入れれなくなった小ネタを別のところにこっそり入れてきてて、なにこれマニアかみたいな
  • 新人戦での東のイライラ王子のハッチがすごいするっと終わっててちょっとさみしかった。というかハッチちょっと細目でさみしかった。もうちょっとふっくらしててもよかったのに…!
  • ていうかそういやコミカルな部分はほとんど川本家と二階堂に任せてたなーとか。
  • そう考えると将棋のほうはほぼほぼシリアスになってたんだな…というかそりゃそこまで描けたらちょっと上映時間おかしくなるよねとかメリハリなくなるよねとか
  • エピソードが将棋関連、幸田家関連、川本家関連でいろいろ時間軸がズレてるけど、多分前編が将棋と幸田家ラインで押して後半で川本家で、みたいな感じなんかなーとか。そこに大きい対局入れてむにゃむにゃ的な感じでいくとしたらこのほうがすっきりしていいのかなーとか
  • そんなことを書こうとどっかで思ってたけど忘れてた。

という事を思い出していてふと気づいた違和感は、島田さんが対局中に干し柿を食べている所です。私がなぜあそこで胃薬を飲むのでは、と勘違いしたのは島田さんが対局中に食事をするイメージが全くないという事でした。胃痛持ちでそれこそ対局前にほとんど食事もできない島田さんが、対局後のビールが胃に本気で染みて痛むほどの島田さんが、対局中に食事ができるかというとできないはずなのです。そんな事を考えていて初めて「そうか、原作の島田開と佐々木蔵之介が演じる島田開は全く違うキャラクターなんだ」ということに気づいたのでした。
そんな事をつらつら思わず考えてしまったのは、原作を知らない駆け込み屋のアニシさんが映画を見て島田開というキャラクターを「飄々としてそうで熱いものを持ってる」と評したことでした。私にとって島田さんは飄々としているというよりは苦悩しているキャラクターなのですよね。いや原作読みは皆思ってますよね。本当にいい人で、いい人だからこそこの将棋という厳しい勝負の世界で苦悩して足掻いている、それが原作の島田開というキャラクターなわけですが、そういう部分ってほとんど描かれていないわけです。見返したら胃を痛めているシーンどこかにあったのかもしれませんけど、私の記憶には印象に残るシーンではありませんでした。もしかしたらあそこで胃薬出してきてたらインパクト強かっただろうなーとちょっと思いますけど、佐々木蔵之介の島田さんにはもしかしたらあまり合わないかもしれませんね。髪の毛もふさふさですしね(笑)。
と同時に気づいたのは、おやつタイムの意義が映画では描かれなかったのだということです。原作では宗谷名人と隈倉九段の対局で描かれるおやつタイムですが、あそこで隈倉さんがケーキ3個一気食いというとんでもない甘党ぶりを見せて対局中におやつを食べるインパクトを出しました。対する宗谷さんは紅茶に大量のブドウ糖と薄切りレモンというシンプルなもので、こういう対比が描かれたのは宗谷冬司というキャラクターの無機質性を出すと同時に、対局中におやつを取る意味を明確にするためであったのだと思います。脳をフル回転させるために糖質を取りクエン酸で疲労回復をする、その一番シンプルな形を宗谷冬司というぴったりなキャラクターを使って表現した原作のおやつタイムは、将棋を知らない一般読者には非常にわかりやすく、また対局の面白さを感じさせるものでした。
しかし映画では原作の本筋とは別の使われ方をしたように思います。どちらかというとにらみ合いながら互いにおやつを食べるという、あくまでおやつタイムという小ネタを使ってガチンコ勝負の印象を強めた感じです。それは監督の伝えたいメッセージとしては非常に簡潔でわかりやすいものだったと思いますが、原作読みとしてはなんだかちょっと「あれ?」と思う部分なのでした。
補足しておきますが、こういう小さな違和感というのは、長編小説や漫画を原作をしたメディア作品にはありがちなものだと思います。私はそれを悪いとは思いません。12巻でいまだ未完の作品の内容を全部描けというほうが無理だと思うからです。原作が長ければ長いほど、監督には別の視点と到達点が必要になるのでしょう。それが見る側としてマッチすれば良作と感じられるでしょうし、そうでなければ見るに値しない作品と感じられるだけのことだと思います。そして私にとって今回の映画は悪くない作品だと思います。
と同時に私が映画や漫画、ドラマといったメディアより小説や漫画を好む理由が初めてわかりました。尺を気にせずどこまでも長くできるし濃くも浅くも描ける、その自由さが小説や漫画にあるからです。作者の濃密な世界観にどっぷりとつかりきれる小説や漫画をこれからも楽しんでいきたいなあと改めて感じました。