ちえこ風呂具

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当たり前ではないということー出生前診断の話ー

妊娠するまで、出産というのは普通にしていれば元気に生まれるものだとどこかで思っていました。
世の中にいろんな生まれ方をする子どもがいるけれども、生まれる前に亡くなってしまう子もいるけれども、それはたまたま運が悪かったりしただけの事、そんな風に思っていました。


そう、自分がおなかの中に我が子を宿すまでは。


妊娠するまでどのように胎児が育つかなかんて知らなかったし調べることもなかった。なので自分が当事者になって初めて自分がその運の悪い側に回る可能性がある事を実感しました。
何パーセントの確立うちの1%に自分とおなかの子が当たるかもしれない、そんな不安を、片方で元気に生まれてくる期待と共に抱えながら10か月を過ごしていたように思います。
初期までは流産しないかどうか、中期からはそれに合わせて異常が見つからないかどうか、後期になれば無事出産できるかどうか、そんな不安を検診の度にひとつひとつ消したり増やしたりして過ごしていました。

その中でも出生前診断は我が子の命について真剣に考えさせられた案件でした。
出生前診断の話が産科医から言われてそこで初めて本気で、自分が障がいを持つ子を産む可能性があるという事、同時にそれが事前にわかるという事、そしておなかの命に自分の選択肢を持たされる事の恐ろしさを実感しました。

それまでおなかの命は私の中に宿っているけれども、それは私の意思でどうにもならない存在でした。それは私がどれだけ無事育って欲しいと望んでも育ってくれない場合もある、そのことは不安になると同時に私に「この子の命はこの子が決める」という一つの安心を与えてくれていました。
でも出生前診断をするということは、そこに「この子をどうする?育てる?育てない?」という選択肢を親側に与えられることなんですね。その選択肢を与えるために、法律上中絶をしていい20週あたりまでに受けるよう説明されます。

結論として先に言うならば、私は羊水検査を受けませんでした。
染色体異常が見られた時にどうしたら前向きに我が子に向き合えるか結論が出なかったからです。かといって中絶をした時に自分が前向きに生きていける自信もありませんでした。
出生前診断を扱う書籍やネットの体験談なども読みました。もちろん夫と話し合いもしました。
と言っても夫と私の意見は同じで、診断結果が陽性だった時の結論が出せない、という事でした。
そして後戻りできないところに決断を後回しにして自分たちを追い込んでしまおう、という決断をしたのでした。
出生前診断で判断できる障がいの種類はそんなに多くありません。この出生前診断で陰性になっても、様々な障がいをもって生まれる可能性はあります。出生時に事故があるかもしれませんし、無事に身体に何の問題もなく生まれても自閉症などの発達障がいを持つことも考えられます。
出生前診断で得られる安心は限られていてそれで中絶を選ばない(少なくとも私は選べる気がしなかった)のであれば、そして結果に暗い気持ちで出産までを過ごすならば、私はもう知らないままでいい、と思いました。

出生前診断には理屈じゃない様々な考えがあります。私は、結果によって中絶を選ぶ人も、産むことを選ぶ人も、とても勇気のある事だと思っています。産み育てる人ならばもちろんですが、中絶を選んだ人もお腹の子が愛しいと少しでも思っていたならば、その決断はもう苦しみに苦しみぬいた末だと思うからです。

ありがたい事に生まれた娘は健康体で生まれてくれました。自分の子を産んで初めて、元気で生まれてくれることが当たり前ではない事に気づかされました。
今私は毎日「生まれてくれてありがとう。今日も元気に成長してくれてありがとう」という気持ちでいます。泣いて笑って眠って必死に母乳とミルクを吸って日々成長していくことが何と幸せな事か。
この気持ちがいつまで続くかわかりませんが、いつか我が子が生きていることが当たり前のように思うようになっても、この今の気持ちがあったことを忘れないようここに記しておきたいと思います。