ちえこ風呂具

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さみしいって気持ちとかいろいろ

昨日までよかったねーって思ってきたことについて、急にさみしくなってきてしまいました。なんと、思いもしなかったことなのですが、今、太一のことを考えるのが少しさみしいのです。
タレントとファン、何の関係が変わったわけでもないのに、何か、私が繋いでいた糸のひとつが切れたような気持ちなのです。
3日遅れのレディボを聴いていたらまだ、結婚のけの字も出る気配のない過去の太一*1が相変わらずばかばかしいを話していて、なんだか益々さみしくなってしまいました。
この気持ちは私が叔父の養女になったころを思い出します。叔母が亡くなってしばらくこの家で遺品の片付けなどをやってくれてた母が、遂に自宅に帰ってしまったとき、その母の後姿を見送った時の気持ちに良く似ています。
関係が変わるわけではない、母が母で無くなったわけではない、そう思いながらも帰る家が変わってしまったことが無性にさみしくなってしまった事。それまで自分が思っていた以上に母という存在に依存していた事をふいに実感させられた事を思い出しました。そのような寂しさを思い出しながら
ああ、そうだなあ…私は思ったよりも太一が好きだったのだなあ…。
いろんな、しなくても良い心配をしたりしてきたなあ
成長を見守っている気持ちになっていたのだなあ
でももうそこまでしなくてもいいんだよなあ
だって太一が辛い思いをしている時、傍で支えてくれている人がいるんだもんね
でもそういうしなくても良い心配をしてきた事が、実は私にとってはとても楽しかったのだなあ…。
と妙に実感してしまったのでした。
多分これはひと時の感傷でしかないと思います。6年前、母の背中を見送った寂しさを私は覚えていますが、もう母を見てそんな思いになることもありません。私が私であるかぎり母が母であるように、私がTOKIOのファンである限り国分太一は変わらずTOKIOのメンバーであり、私の好きなタレントなのでしょう。きっとその中で既婚者である太一の姿にも慣れていき、彼の姿にまた笑ったり、突っ込んだり、素敵だな、と思うのでしょう。また忙しくしていたらしていたで、忙しいけど家に帰れているのかな?とか奥さんは心配してないかな?とかそんないらぬ心配をしたりするのでしょう。そしてそれもまた幸せなことなのだと思います。
でも、このさみしい気持ちを大事に抱えていたいと思います。だってそれだけ今まで一生懸命応援してきた証ですからね。
ビビットもみました。話している内容はちょっと心臓に負担がありました…本人の口から発せられるにはあまりにリアルでね…うおおお…ってなって、でもキヨシさんのクニコさんのくだりはホントよかったねぇ!と思いました。
そして目もとがね…後半目元本当にうるっとしていてね…緊張していたのかもう逃げたかったのか感動だったのか、なんだかよくわかんないけどあのうるっとしてる目を見ていたらなんかもう…もう…
ちくしょう!幸せになれよ!!!
という思いだけになってしまいました。ああもうやっぱり変わらないのです!やっぱり太一は太一だなあ!大好きだい!

*1:もうこの時にはこの11日の事は決まっていたのでしょうし色々打ち合わせなどもあったのでしょうけれどもね。