かこさとし「だるまちゃんとてんぐちゃん」
暑いですね。特に妊娠中は汗をかきやすいらしく、びっくりするほど汗をかきます。
暑くてたまらないのでうっかりすると動きたくなくなります。
で、家の中で家事や作業をするのにテンションが上がらない時は、ラジオを聴いています。放送局はもっぱらKISS-FMです。
日曜の午前中に放送しているパナソニック メロディアスライブラリー*1で、このだるまちゃんとてんぐちゃんが紹介されていました。昔読んだ事があって、先日書店で見かけた時は懐かしいなあなどと思っていたのですが、ストーリーなどすっかり忘れていました。でもこの番組での紹介がとてもすばらしくて、作者の加古里子さんのバックグラウンドを含めてとても好きになってしまいました。
- 作者: 加古里子
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1967/11/20
- メディア: 単行本
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メロディアスライブラリーでは加古さんの子ども時代の父親とのエピソードも紹介されていたんですが、加古さんのお父さんは子煩悩だけれども早合点なところがあって、加古さんが欲しいんじゃないかと思うものはすぐ買って与えてしまうところがあったそうです。でも加古さん自身は作れるんじゃないのかなあ、なんて見ていたものをさっと買い与えられて、泣きたいような怒りたいような、なんとも言えない気持ちになったこともあったそうです。
こういう、親が子どもの先を考えて先走りってしまい、それが子どもが納得しない結論であることは親子関係ではよくある事のように思います。
これは子どもが大人になっても延々と続く事もあって、例えば私と母でも何度となくこのようなやり取りがありました。私の母は私の将来にむちゃな干渉をするタイプではないのですが、それでも大喧嘩をしたりしたこともありますし、困ったなあ、違うんだけどなあ、と思ったことも何度もありました。
特に10年あたりは伯父との関係などで「あんたは我慢ばかりしている、かわいそう」と言われる事がよくあって、でも自分の中では「このような経験も、自分の成長の糧にできる」と前向きに納得して行っていたりしていたのですが、それを「させられている」「我慢ばかりしちゃだめよ」と否定的にとらえられる事がありました。それは心配から来ている言葉で、私を思っての言葉なんでしょうけども、私からすると「そうじゃないんだけどなあ」と何度も首をひねったものでした。
そして大人になるにつれて自分の思いを理性的に話を出来るようになってきたのですが、それでも母が納得しているかというとそうでもなく、こういったやりとりを続ける度に、ああ母と私は違う人間なんだなあ、似ていても全く違う価値観で生きているんだなあ、と思うようになりました。
そして徐々に「私は私の人生を生きるしかない。それには自分の人生の選択は人の言葉に委ねず自分が納得して、責任を持って行わなければならない」と考えるようになりました。
多分今後自分の子と接する時も、きっとこのように子どもから「そうじゃないんだけどなあ」と思われる事や言われる事がたくさんあると思います。その時にやさしく受け止め、見守れる自分でありたいなあ、と思わされた絵本とラジオ番組でした。
ちなみにこの番組では紹介している本をイメージした曲がジャンルを問わず流してくれていて、それはそれでとても良いです。その中でこのだるまちゃんシリーズ50周年記念で作成された「だるまちゃん音頭」が本当にかわいかったです。
*1:TOKYO-FM系列の番組ですね